1989-06-20 第114回国会 参議院 内閣委員会 第4号
先ほどお答えいたしましたとおりでございますが、厚生省といたしましては、未帰還者の消息の究明、それから引揚者の促進の観点から概況を把握しているところでございまして、この概況は現地からの引揚者に対する調査や留守家族からの申し立てなどについてやっておるところでございまして、保管資料につきましては、留用者の名簿や留用の有無を逐一記録した個人資料がございませんので、詳しい実態は把握できておりません。
先ほどお答えいたしましたとおりでございますが、厚生省といたしましては、未帰還者の消息の究明、それから引揚者の促進の観点から概況を把握しているところでございまして、この概況は現地からの引揚者に対する調査や留守家族からの申し立てなどについてやっておるところでございまして、保管資料につきましては、留用者の名簿や留用の有無を逐一記録した個人資料がございませんので、詳しい実態は把握できておりません。
これらの留用者の実態につきましては、戦後間もなく混乱しました中国においてのことでありますので現在では詳しい事情はわかりませんが、引き揚げ及び未帰還者調査を所管しております厚生省では、引揚者の証言などから概況を次のように把握しております。 留用者でございますが、留用者にはおおむね三様ございますけれども、戦闘要員として前線部隊に配置された者。
また閻軍から出されました「留用者の待遇弁法」、こういったものも回ってきております。このようにして指揮系統を通じていろいろな残留業務が行われたというのが、当時の実際であります。そういうことは、大体昭和二十五年の末ごろまで行われておりました。
これらの人は、主として終戦前に現地で応召したものでありまして、現地に家族がある関係上、その大部分は家族と共に一般邦人として帰つておりますが、若干の者は技術留用者或いは山西軍に参加ということで、残つた者もあります。 以上は山西軍参加者の行動の概要であります。
その残留者の大部分は留用者でございます。一部は、戦犯、反革命のゆえをもつて残留せしめられている者及び国際結婚、孤児等がございます。留用者は中共の政府または軍帰還に留用されておりまして、多くは鉱工業部門、衛生部門、一部は軍の後方兵工廠に留用されておるようでございます。戦犯、反革命のゆえをもつて受刑または取調べ等のため収容所等におります者については詳しいことはわかりません。
○中山(マ)委員 帰りたい者は帰すということが新華社の放送のように聞いておりましたのに、新聞情報ではございまするけれども、宮崎県の人でございましたか、鹿児島県の人でございましたかのお父さんからの連絡として、自分は帰ることを希望しておるのに、こういうことの直前に奥地の方へ転勤させられた、——留用者であるがために転勤をさせられたというようなことで、御家族の方も非常に御心配になつている向きを聞きますと、私
それから今後の引揚の見通しでありますが、今年の春頃済南では各公営機関に日本人の留用者について、この人間は不必要であるか必要であるか、本人は帰国を希望しているかどうかというような調査が来ていたようであります。これは各公営の工場であります。工場の日本人について調査していたようであります。それに対して日本人は在留技術者はこういうような観測をしております。
一般的に残留者特に政府、軍機関の留用者、軍機関に使われておるものでありますが、軍機関の留用者に対しましては帰国感情を払拭するごとく宣伝を強化いたしまして、陰に陽に帰国運動の発生を阻止しており、帰国歎願者に対しましては、今日本へ帰つても、就職難、食糧難、住宅難等で生活は極度に苦しいから、もう暫らく中国に残留していたほうがよくはないかとか、日本が船を廻さないから帰せないのだとか、目下朝鮮事変が解決していないために
この公安局へ私が中共になつた翌年許可証をもらいに行きましたときに、一人の日本人のかたにお目にかかつた、これは技師をしておる留用者と思われます。このかたに私は、今北京にどれほどの日本人がおりますかということを聞いたのです。私は中共以後になつてから日本のかたと附合つたことはないのです。
私は北京におりましても、ちよつと他の留用者の方と違うのであります。私は北京の燕京大学で十二年ばかり教授をしておりました。中共になりましても、私の学校はさつそく共産政府の接收にはかからなかつたのであります。ほかの大学は共産党政府から接収せられまして、国立大学になりましたが、私の学校だけは昨年の一月まではそのままで教授をしておつたのであります。
小島さんのような場合は、これは留用者といつてもよほどあいまいな立場におられる方で、商売をいたしておつた方で、こういう方は非常に少い。天津には見えますが、北京あたりのおひざ元では非常に嚴格なものです。
それで私の場合は、留用者といつても政府の留用者じやないのです。捕虜の名義じやないのです。ただ燕京大学に、アメリカの大学に私は奉職しておつたというような意味で、もう今度七月かに自分は任務にたえないというので帰つて来たのですから、ほかの方よりも簡單なんです。けれどもほかの方は、政府の留用者が捕虜の名義ですから、一概に帰してもらいたいといつても、政府の立場のある場合もあるだろうと思うのです。
その後私どももこうしたいわゆる鉄道関係の留用者というものは、なお数百名あるのではないかということを考えておりました際でもありますので、早速こういつた情報は関係方面にも伝達いたしました。勿論この留用者という問題は、満州におきまして一応ソ連が八月九日に入つて来た。そうしてそれ以後続々と入つて来た。
○説明員(武野義治君) 朝鮮事件が起るまでは、割に、中国北京政府と言いますか、中共政府が留用者に対しまして、各留用機関に留用解除してよろしいという指令はぼつぼつ出されたようでありまして、毎月ぼつぼつ個人的にそういつた留用期間解除者が帰つて参つたことについては、前にも御報告申上げた通りでありますが、朝鮮事件が起りましてからは、そういつた留用解除者というものは極めて少いのでありまして、本年二月には十一名
○委員長(千田正君) 只今の中共地区におけるところの留用者の状況は、只今武野課長から御説明あつた通りでありますが、御質疑は後といたしまして、先ほど最初に御説明ありましたところの在朝鮮日本婦女子引揚に関する只今の外務省の御発表に対しまして御質疑のあるかたは一つ御質問願いたいと思います。
その他、曾つては留用者で、国民政府軍のときには留用者であつたけれども、それが解除されて自活をしておつたというかたがたもございまして、多種多様でございますが、こうしたかたがたは、主として一番多いのは、パナマ船で帰つて来ております。英国船、米国船も一、二ございますけれども、主としてこのパナマ船によつております。
こういつた個々の留用者だつた方々は、留用機関に対し、或いは北京政府に対し、間断なく、又執拗にその帰国或いは留用解除の問題、そういつた帰国についての便宜供与、こういうものを執拗にお願いした結果許されたということを、大体一般的な傾向として聞いておりますし、なかなか留用機関が離さないというのが、先ほど申し上げしまたような理由もありまして、各人も帰る方法を知らないということもありますし、又資力の点からいつてもむずかしい
一九四七年には国府地区留用者及び家族並びに事故残留者約三万名が引揚げましたが、中共地区からは行われず、一九四八年の七月証北鮮地区の引揚げが実施された際、延吉、図門におりました日本人が約三百七十名、これがこの北鮮の引揚げに便乗いたしまして引揚げて参つております。次いで一九四九年、昨年の九月でありますが、大連からソ連側のあつせんによりまして二千八百六十一名が引揚げたのみであります。
日本人の留用者なんかもおりまして、いろいろ聞いておりますが、そうした将官級の方にお会いしたことは一回もないのであります。おそらくこちらの方では、ソ連政府の方の調査を行つた際に、そうした人がおらない結果、斎藤という人の名前が出ているのではないかと思うのでありますが、おそらくぼくの推定としては、その老爺嶺の山に入つているのではないかと思われます。
天津に残つておる留用者というものは、現在ではわかりませんが、その際には帰国を希望する人はほとんどなかつたのであります。帰りたい人だけが帰つたんです。十五、六名でございますが、特に気の毒だと思つたのは中国軍隊に入つておる人です。それがわれわれの所に来まして、何とか方法がないかと言うから、日本に帰つたら、外務省にお話して何とか帰れる方法をとりましようということを言つたのであります。
従つて非常に惠まれた留用者につきましても、この程度に困難の情勢がある。それから一般の民間人の生活は、あるいは伝えられるように、非常に困難なものがあつて、これはとても集団引揚げという方法をもつてするのでなければ救われない。たまたま上海なりあるいは塘沽なりで拾われるようにして来る幸い僥倖の方もあり得るけれども、大部分はとうていそのような機会もない。
然らばこれらの人々は現存どのような生活を過しているであろうかと申しますると、最近におけるこれらの人々の生活様式に関し明らかにされました点を申上げますと、先ずこれらの人々は第一に中共軍及び政府機関留用者、第二には自由労働者、第三には婦人及び孤兒、第四は炭鉱労働者に分けて御説明申上げます。
次の問題はソヴイエトの問題でございますけれども、これは私から申上げるまでもなく御承知と存じますが、イギリス領の留用者の問題それから満州の問題、それから今状況が違つて来ておると思いますが、南京方面の留用者の問題、全部関連した問題でありますが、仮に向うで現金の給與を受けて持つて帰るというような事態になりますれば、これはぜひともそれだけのものはただで通して貰いたいということをはつきり折衝すべき筋のものだと
中共の占領によつて、国民党の留用者がそのまま中共は留用されるということに、若干はなつておるようでありますが、今後あるいは現在までも政府といたしましては、司令部にできるだけわれわれの得まする情報の正確なものを差上げまして、そうして司令部を通じ、あるいは司令部の各段のお骨折をいただきまして、中共側に通ずるように関係国との間に折衝してもらうというほかはないのであります。
それからいわゆる特科出身者以外の旧日本軍人留用者は、すべて將兵を問わず担荷隊に編入せられまして、百五十名乃至二百名が一團となつて各連隊に配属せられ、中共軍戰死者或いは死傷者の收容に当つておる。そうして担荷隊員総数は約三万四千名とも言われておるそうであります。その他約一万三千の者が自動車工場、通信隊及び軍政機関の雜役に服しておるという話であります。
本請願の要旨は、中国東北地区の国民政府治下には四千五百名の留用者のほかに二千名以上の難民と数十名の戦犯容疑者が、あり、また中共地区には推定四、五万名の同胞が残留し、祖国の救援もなく、困難なる境遇にあるがゆえに、救済物資を送付せられたいというのであります。